疑念体ストーリエ 序編

ジリジリジリ、ジージージー
ジリジリジリ、ジージージー

止みそうにない夏の声。

ジリジリジリ、ジージージー
ジリジリジリ、ジージージー

額から流れる汗が、目に染みる。

不意に閉じた瞳を開く私は、きっとそこにいた。

空っぽの石棺、投げ捨てられた願いのカタチ、絡み合う緑の指。
その真ん中に私。

その中で私はきっと、小さな小さな何かの一つだったと思う。
それでも、私は他の何かみたいになることができなかった。

小さな、小さな何かでも、大切な何かになれているというのに私は。

 

 

…………………

 


“ヘイセイ”最後だとかいうの夏は、例年と変わることなく過ぎてゆく。
憎いほどに晴れた空、痛みさえ覚える日差し、そして心地よささえ感じるような暑さ。
ぼくにとってはそれが夏のすべてだ。

ぼくは『ユニ』。
『具象思念』、あるいは『思念体』にカテゴライズされる存在。
早い話は、感情を糧に成長する霊的なモノだ。

ぼくにとっては、満ち足りてない状態こそが本来の状態だ。
愛する者の温もりを知らず、吐きだすほど飲み込むことを知らない、それが普通。

だけれど、困ったことにそれは『何もない』というわけではない。
喜びや怒りが積もるように、不満足というのも積もるものなんだ。

それは貯めておくことができないということで、積み上げたものはいずれ崩れてしまうという意味。
どうしても不満を吐き出さずにはいられない。

だから、今日も存在意義に反する快楽に身を委ねるため行動しなければならない。
言い忘れていたが、ぼくの存在意義は『不足感』にある。


この場所はぼくのような『思念体』が住処を求めて作った虚栄の町。
つまりは廃墟だが、我々のようなオバケには何かと必要なものが揃っていると思う。

同族との交流も盛んで、不思議なほど互いを認めることができている。
だが、実際には互いが互いを天秤にかけ、互いに足を引っ張り合っているようにも見える。
ぼくらに足という部位は存在しないが。
ゆえに他者を見る目は非常に慎重だ、何せ相手が何をしでかすのかわからないから。


町を徘徊するぼくが今日最初に出逢ったのは『物欲』の思念体だった。
「む」

この思念体は口数が非常に少ない。
というより、「む」としか発することができないようだ。
実際、意思疎通は不可能だと思う…が、懐柔することは困難ではない。

だが、ぼくはこのような手合いは大の苦手だ。
ぼくは(一方的な)会話を好む、口が利けないような相手と話しても空しいだけだ(個人の感想です)。
さらに言えば、この生物は欲深いことで有名であり、欲しいと思ったものを無尽蔵にしまい込むと聞いている。

思念体は大雑把に“喜怒哀楽”のような『感情系』、“物欲”や“愛”などに代表される『欲望系』、“違反”や“夢”といった『概念系』の三つに分けられる。
ぼくとこいつは同じ『欲望系』であり、つまりは似た者同士なのだ。
何が言いたいかというと、自分のことしか考えていないようなヤツといるとストレスが溜まる。

ぼくは当初の目的を達成するために、『物欲』の脇を素通りすることに決めた。

ヤツの側を通り抜けると、ぼくに微塵も興味がないようで、振り返ることもなかった。
鼻につくような酸っぱい残り香が妙に印象に残った。

 

 

…………………


「……それで、私のところに来たの~?」
「違うっ…た、たまたま通りがかったんだよ」

寝ぼけマナコを擦って、私は迷子の方を向く。
この迷子は私に縁深いので、全くの他人だと感じられない。
「そんな風に壁を作っていくから、私くらいしかあなたを理解してあげられないのよ」

「ぼくの何を知っているんだよ」
伸ばした指先を振り払って、不満そうに言った。
この子が求めているモノはこういった『反応』だ。

「だって、あなたが他の誰より私と一緒にいるから…他の誰よりもあなたを知っているのは、当然でしょう?」
私は一つ、ため息を吐いた。
ため息を吐くと幸せが逃げると言うけれど、あながち間違いでもないとその時は感じた。

『ユニ』は、何も答えない。
この子は普段、誰よりも好き勝手に振る舞っているのに、いつからか、私の前では大人しい。
それは、彼(?)自身が好き勝手でいることを望んでいるワケではないから。
本当は誰かのことを『好き』でいたいんだ。

そんなユニのことを私はどうしても放っておくことができず、ついには甘やかし、受け入れてしまう。
そうしなければ、彼の中からその想いが失われてしまいそうに思えた。

「お前は、ぼく以外とだったら誰と一緒にいるんだよ」
「えっ?あ…お、お前なんて言うものじゃありません!私は『ポリ』お姉さん!」

不意を突かれた言葉に、つい声が裏返ってしまう。
何より驚いたとともに、彼自身も私のことを理解していると感じたことに衝撃を受けていた。
私は、何をやっているんだろう?…一瞬でも、そう感じるように思った自分が、こんなにも情けない。

 


私は『ポリ』。
思念体、性質は『充足感』。

私は天秤。
私自身はきっと、満ち足りてなんかいないのかもしれない。
誰かの幸せこそ、私が存在を作る糧になるから。

愛なき者に温もりを、飢えに苦しむ者に施しを与えるのが私の存在する理由。
だけれど『なんでもある』から、そうしているわけではないの。

きっと私は、『何もない』。
だから私は、『誰でもない』。

『誰でもない自分』のために、必死になって誰かの側に寄り添っている。
そうするしかない、そうすることでしか『生きる』ことができないから。

何かを奪うことでしか生きていくことができない―――。
そんなユニの力になれるなら、『誰でもなくて構わない』、そう思っていたのに。

「ポリ?」
私の顔を覗くユニの表情は、不安に駆られているように思えた。
そうだ、ユニにこんな表情をさせてはいけない。

「も、もう!こんな暗い部屋では気分まで暗くなるわね!外食に行きましょ!」

 

 

…………………


ぼくとポリが寝床から飛び出し、伸びをしようと思った時。
外はやたら騒がしく、何人かの思念体が声を掛け合って何かを探しているようだった。

別段、食事は落ち着いたものでなくても良いが、邪魔をされるのだけは真っ平ゴメンだ。
「なんの騒ぎだよ」

ぼくの質問に答えるため、『怨み』の思念体が近づいてきた。
「なんだ?とはこっちのセリフだ!邪魔するんじゃねぇ!」

なんか、質問に答えに来たという感じではなかった。
よく見ると他の思念体もやたら攻撃的な面子ばかりに思える。
「ぐ…う…悪かったよ」

「ああ?…念のため訊いておいてやるが、お前らは『キツネみてーな』思念体を見たか?」
キツネみたいな思念体…?
思念体は煩悩の数ほどいると聞いたことがあるが、それでもそのような外見の思念体の話は全く聞かない。

ポリに聞いてもわからない。
「キツネ…ごめんなさい、ちょっと見たことがないわ」
「そのキツネが、どうしたんだ?」

「そいつにはなァ、みんな迷惑してるんだよ…食い逃げやタカり、貸した金が返ってこないとか色々」
『怨み』の思念体は握りこぶしを作って震えている。
どうやら金を貸してやったらしい、見かけによらないものだが。

「これほどの人数で探しても見つからないなんて、特殊な能力で逃げているのですか?」
「実は、そいつは『思念体であって、思念体ではない』という見方が強まっている…だから」

そう言うと彼の握りこぶしが地面に打ち下ろされる。
「だから厄介なんだよ!見た目は完全に俺たちと同類なのに!」

「思念体であって…思念体ではないって、どういうことだ?」
「……『イハン』や『プロト』によると…感情を糧に生きるが、思念体とは別存在だと…」

『怨み』の思念体は溜息を一度吐くと、怨みの表情で再び顔をあげる。
「とにかく、そいつを見つけたら俺にも一撃いれさせろ!」

彼を含めた思念体達は次々とこの場を離れ、そのよくわからない思念体を追いかける。
騒がしかった町の一角が、再び本来の静けさを取り戻した。

蝉の鳴き声だけがやたらと響いている。

 


…………………


痛い。
痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い!

どうして私『だけ』がこのような目にあわなければいけないのだろう。

あの変な生き物は思いっきり噛みつくし、金髪のヤツには銃で撃たれるし、黒っぽいヤツにはやっぱり撃たれるし…。
どうして?どうして私だけなの?

 


最早、周りなんて見えない。
ここがどこで、どんな匂いのする場所なのか、感じるような余裕はない。
じっとりとした手の感覚が、不快感だけを加速させる。

まるで、肺に穴が開いているようだ。
ああ、それもあながち間違いじゃないのかもしれない。

追い詰められたら、誰でも感傷的になるもので、この町に来た時のことを思い出していた。


だけど、追跡者は物思いに耽るような時間も与えてくれない。


「こんなところにいたんだ…じゃあ、死ね」

私は、潰れた喉から必死に音を出すことを試みた。


どんなに叫んでも、意味のある言葉にはならなかった。

どんなに強く訴えても、誰の心にも響かなかった。

どんなに、どんなに許しを乞うても。

 

 

私はそれっきりだった。

 

 

 

…………………


「天才である!!この私が!!何度でも説明してやろう!!!!!!!」


私とユニは趣のある食堂に来ている。
そこでなんとも、なんとも言い難い人物と出くわした。
天才を自称する彼女は『探求心』の思念体。
先ほどの『思念体(偽)』の話題で名前が挙がった、『プロト』さん…だとか。

「まず、最近我々の間で厄介なことになっている存在は、思念体と非常に似ている
 私はこれが、思念体と同じ製造過程を経て誕生し、同様に機能しているものと考えた」
「おまちどうさま」

話の腰を折るというのはこういうことを言うのだが、料理を運んできたのはこの食堂の店主だ。
しかし、プロトさんは提供されたナポリタンを啜りながら器用に話の続きをし始めた。

「では、どのような部分が思念体と異なっているのか…というところだが、思念体を形成する情報は単純であることが多い
 強く一般的な想いほど形になりやすいゆえにな、だが今回のそれらを形成する要素は複雑かつ微弱、さらには非常に限定的である」

プロトさんについて私は深くを知らない。
聞くところによると思念体について専門的に詳しいのは彼女を数えて、片手の指で数えるほどしかいないらしい。
さらに言えば、彼女の知識は実践に基づいた結果であり、まさにこの分野では権威であると言える。
その偉大なる叡智はもっぱら七面倒なことに使われる。

「ご飯が冷めるぞ」

そう言うユニの声は、私に響かない。
興味深い内容だったので、つい彼女の講義(大きすぎる話し声)に気を取られている私。

彼女…プロトさんは、今回の騒動で浮上した容疑者のことを『疑念体』と名付けた。
疑念…ある物事が真実であるかどうかについて、心に生じる疑い。
さしずめ、思念体とするには疑わしい存在だということなのだろう。

語る言葉が白熱してきたところで、彼女の助手らしき思念体が来店すると彼女に何かを耳打ちする。
するとプロトさんは高らかな笑い声を挙げ、あれほど無理にナポリタンを啜ったというのにシミ一つ付いていない白衣を翻し、二人はどこかに去って行った。
清々しい無銭飲食だ。

そんな清々しさと裏腹に、私はなんとなく自分に見通しがつかない。
私の意識から何故、プロトさんの言う『疑念体』という存在がちらついて消えないのか。

 


自分が被害者になるかもしれないから?


未知の存在に対する憧れ?


知的好奇心?

 


どれも、収まりがつくような理由ではない。

 


…………………


「ぼくの話を聞け、聞いているのかポリ」

ぼくの声に自己を取り戻したポリは、気まずさを紛らわすように皿の上へ落としたフォークを握る。
苦笑いを浮かべながら焼きうどんを啜る彼女の表情は、笑顔とは呼べぬものだ。

その表情にぼくは、『不足感』とは違う、それでも近いような感覚を覚えていた。

「あ…えと、そうだ。隣町の動物園でカワウソの赤ちゃんが産まれた話だったわね」
「いや、違うだろ」

 


「うん、違うね。このお店にギネス級の臭いを放つ缶詰が入荷されたという情報は確か?」
「お前の気は確かなのか?」

 

 

「そだね、確かにね、うん。ちょっと、そうだったかもね。私的には~…うん、そう…心が~ここに…在らずというか」

ぼくは、ぼくの中に芽生えたこの、不可解な感覚の正体を掴めずにいる。
原因を知っている、きっとポリだ。

でも彼女は ぼくに何もしていない、彼女をこんな風に変えてしまったのは、ぼく?


ぼくが、彼女を“頼る”ようなことをしたから?
普段から、多くのものを彼女から“受け取っていた”から?

 


違う、違う。
壁を、彼女は ぼくとの間に壁を作っている。
悪いのは…ぼくじゃない。

自分の勝手で、壁を作っているんだ。


「いいよ、わかった」

 


思えば、ずいぶんと不自由をしていた気がする。


彼女のそばでは、言いたいことが言えないでいた。
いつもは感じたことも、思ったことも全て、しまい込むようなことをせず言えたのに。

 


彼女のそばでは、何も求めることができなかった。
一つのことじゃ足りなくて、キリがないはずなのに、彼女の全てを奪ってやることだけはできなかったから。

 


ぼくは彼女に、ぼくがぼくであることを取り上げられていたんだ。

「ぼくは もう“君”から何かを受け取らない」


「え?」


「君とはもう関わらない、そう言っているんだよ」

「…ごめんなさいユニ、私ちょっと」

「うるさいな!!ぼくは、ぼくなんだよ、好きにさせてよ!」

 

 

『ありがとうユニさん、またどうぞー。』

 

 

…………………


「ユニ!」

私はユニを追って、店を出た。
見渡しても、どこにもいない。
気配を探っても、存在を認めるには遠すぎる。


何度、自分を責めているのか、わからない。
それさえも、自分可愛さの感情だと思えて胸を掻きむしる。


寝床を出るとき、私は確認して、気を張った。
彼女を傷つけてしまわないよう。
それなのに、私は。

 


少しでも、ほんの少しでも『通じ合えている』気がしていた。

“だって”私達は、決して交わることのない間柄だったから。
傷の深さだけ お互いを知って、やっと許し合えるようになったんだもの。


だけれど、思い知った。


誰でもない私を、あの子が知るはずもなかったんだ。

「ふ……ふふ」

笑いがこみ上げてくる。
可笑しくて、可笑しくて仕方がない。

「『誰でもなくて構わない』だって?そんなワケないじゃないの!」

 


……とにかく、ユニを探さないと。
私が呼吸と思考を落ち着けていると、何やら物音がする。
死角から看板のようなものが、がしゃんと音を立てて倒れ、壊れた。

音のした方向に顔を向けると、そこには『キツネの耳が生えた帽子』を被った思念体がいて、こちらを見ている。
私は、これが件の疑念体であることを瞬時に察知した。
「あ、あなたは」

見知らぬ彼女は傷だらけで、それを差し引いてもどこか弱弱しく、ただその長い金髪は土埃に汚れてなお魅力的に感じた。
揺れる長髪からは香水の匂いか、酸っぱい葡萄のような危ない匂いがする。
彼女はこちらに向かってくると私の前で立ち止まり、呟くよう言葉を発した。


「助けて」


沈黙の間が続き、睨み合うように見つめていた。
それが一瞬の時だったのか、耐えがたいほどの時だったのか、見当がつかない。
苦痛にも似た時間は、彼女が私に倒れ掛かったことで終わりを告げた。

 

 

なんとなくだが、この人物は“詐欺師”という言葉が相応しいようにも思える。
初対面の人物をこう評するのは失礼極まりないのだが、風貌や佇まいは驚くほどに親しみやすく、驚くほどに弱い。
彼女の言葉をそのままの意味で受け取り、自ら手を伸ばしてあげることもできなかったのは、そう思ったからだ。
心の内では全てを奪ってやるとか、得をしたいという感情にある…根本的な部分ではあの子と同じ。


だとしたら、彼女は。

 

 

…………………


今回はここまで。
次回は『疑念体ストーリエ 中編』(仮題)

このお話は三部構成です。
実在の人物・団体・思念体とは無関係です。